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2020年1月27日 (月)

2番手

40年前、自分が中学校に上がる春、
月刊誌「中一コース」(だったかな)の
毎月表紙を飾ってたのが中山圭子。

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そのちょっと前、欽ちゃんが司会してた
「家族対抗歌合戦」で
俳優の娘として歌を歌ってて、
歌唱力が抜群だったのを覚えてる。

その後サンミュージックの強力スカウトにより、
鳴り物入りの大型新人としてデビューするはずが、
タイアップの商品に問題が発生し、
描かれた構想とはほど遠い
中途半端な形でのデビューとなってしまった。

これに焦ったサンミュージックは
テスト生としてレッスンしていた
「蒲池法子」という、
歌手を目指し福岡から単身上京してきていた
女の子に事務所の運命を託した。

その女の子こそ、
後にトップアイドル、
芸能界のトップに君臨する「松田聖子」。

悔しい思いをしただろう中山圭子自身から、
正式なメディアを通して
語られることはなかった当時の裏話が、
今回女性誌でなんとインタビュー記事として
掲載されている。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200126-00010003-jisin-ent


実はレコード会社も
聖子のデビューに乗り気ではなかったなど、
ほかにも複数の関係者のインタビュー記事が掲載されている。

ものすごいタイミングと持ち前のガッツで
デビューを勝ち取ったエピソードは
ドラマにしてもいいくらい泣ける話。

当時そんな劇的なことが起こっていたとは。
芸能界って恐い(笑)。

そんなわけで、
いよいよ40周年イヤーが動き出した感じ。

って、しつこいけど
当時は芳恵推しだったけど。

たぶんそれは聖子が他のアイドルと比べ
別格だった故のことだと思う。

とまぁ、
なにより聖子の歌声の魅力に
最初に目をつけた
プロデューサーの若松さんが凄いな。


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